豪州と日本のはざまで小児集中治療を学ぶ

日本から豪州に渡ったPICUフェローである管理人が小児集中治療に関連するあれこれを勝手につぶやいているブログです。

【雑観】終末期における選択肢

あたりまえではあるけど、利用可能な医療リソースが違うことで起きている日常診療の選択肢の違い、というのがいまさらながらに目の前に転がってきて、これはこれで興味深い。

日本でみたものは、移植の選択肢が薄いからECMO導入をためらう、挿管したあとの緩和的抜管が一般的でないから挿管をためらう。

いま目の前でみているものは、可能性がありそうならとりあえずやって考える、いま決めきれないならとりあえずやってあとで決める。という感じ。

前者のようなためらいは、必要なんだとは思う、ただ、その時その時でとれる選択肢が多いのは、医療者を楽にはしてくれる。患者はどうかは、わからない。

逆に苦しくしてしまっているかもしれないし、楽かもしれない。

 

そもそも選択肢がなく「それを受け入れるしかない」という状況であれば、悩まなくていいし、比較するものもない、というのは一つの真理ではあるから。

 

ちょっと前になるけど、集中治療学会の小児の終末期のシンポジウムでみたのは、国内での二極化。

看取れる施設があることと、看取れないから気切をせざるを得ない(それ以外に選択肢がないから特にそれが正しいとか間違っているとかいう議論も生まれていない)施設。

 

看取れる施設は前にステップを踏んでいる。そりよい看取り、よりよい選択をするための取り組みや教育が始まっている。

 

そこに個人的には光を感じた。