オーストラリアでも日本のテレビは見れます。いくつかサービスがあって、今のところ家族は不満なくみています。
普段テレビは見ない自分です。見たとしてもNetflix のドキュメントだったりなんですが、
「半沢直樹」は2013年の初回のやつから毎週観てました。そのあとは池井戸さんの小説も読みました。
どんでん返しの展開にも惹かれますが、いい言葉が多いんですよね。小説を読んでいるときは気に入った言葉をメモしながら読んでました。
最終回も色々と印象に残るところがありましたが、
自分にとっては特に半沢の演説と、中野渡頭取が銀行から去る時の言葉が響きました。
①半沢の演説
「日本の未来を信じて歯を食いしばっている人たちがいる」って感じでしたかね…
そうなんですよね、日本を良くしたいんです自分も。日本の子供達の未来のために自分を尽くしたいし、その未来があると信じている。だからこの仕事をしている。
その次の瞬間ふと思いました。
なんだ今自分は日本にいねーじゃねーか
って
よその国に来てなに辛そうな顔してるんだって
日本に貢献してんのかって
これまで同じような思いを何度か経験しました。
なかでも忘れられないのは地元・熊本の震災です。
大学卒業まで親元を離れず地元の大学に進学し、卒業とともに関東に出ました。
その当時は地元の人たちと違う経験をして持って帰れば交換できるのではという思いもありましたが、
千葉で初期研修を終え、
千葉で後期研修を終え、
東京で小児集中治療のトレーニングを終え、
海を渡ってしまいました。
ちょうど東京にいた時に熊本震災があり、
不安な気持ちで毎日を過ごし、
なにも地元のためにならない自分が歯痒くてなんのために地元を離れたのかよくわかりませんでした。
こんな風に家族が苦しんでいるとき、
地元の子供達が困っているときのために、
自分は今まで過ごしてきたんじゃなかつかと(熊本弁
当時の職場の計らいと学会のプロジェクトの一環で、
本震から数日してから現地に入り救急外来のお手伝いとPICUのバックアップという事をしました。
しかし、地元の人たちはほとんどそれを必要としていませんでした。
むしろ、本当に心の底から
「手はいらない、自分たちで立ち直れる、這いあがって見せるし、それができると信じている」
という、
言葉ではなく、態度ではなく、
自信と誇りと強さを兼ねた「オーラ」を感じて、
「今自分はここには必要ない」という感想を抱いて東京に帰ったのでした。
今も日本で歯を食いしばって頑張っている人たちがたくさんいます。医療現場は未だに混沌としているでしょう。
自分はなにをしてるんだろう、
この歴史的にも稀に見るパンデミックの最中、
日本にさえおらず。
こんな思いを噛みしめながら、
自分は日本に帰りたいということを確信したのでした。
②中野渡頭取のセリフ
「判断は今しなければならない、でもそれが本当に評価されるのはあとだ。だから、決断するときは自分が正しいという選択をしなければならない。それがたとえ少数派だとしてもだ」
みたいな感じでしたか、もううろ覚えになってしまい、自分の中に残ったメッセージだけ再現しています。
集中治療というのは、挿管やラインやECMOなどの手技に目がいきがちですが、
仕事の本質は「決断すること」だと思っています。
そしてその場その場で患者にとって最善の決断をするために、日々研鑽を積み、勉強し、過去の患者に学び、新しい情報に手を伸ばし、頭を悩ませていると思っています。
(もちろん手技も大事です)
私は非常に意思が弱いというか、仕事に関してはまだまだ未熟なせいか、その決断をするという場面になったときに、なにか正しいか、なにが患者にとって最善かを考えるより、
より多くの人達が納得する選択肢をとる傾向があります。
これは自覚しています。そしてそんな自分を変えたいと思っているし、
Intensivistとして致命的だと思っています。
だからこそ、このセリフが響いたんだと思っています。
他の人がどう思うかではなく、
今、この瞬間に、この患者にとって、なにが最善なのかということを、自分で責任をもってしていくという、
(なんか書いていると当たり前やばかやろうって感じですが)
ことを、あらためて進めていかないとなと思いましたし、それでいいんだと思いました。
なんか、こういった内容やセリフやドラマに影響されるだけで、
やっぱり自分日本人だよなって
改めて気づかされるのでした。
さーまた明日から頑張ろう